人間の目標とは『夢に溢れる未来』

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間違いなんていうのは、そもそも人間が時代的な概念をベースに一般化した定規でなんとなく作った価値観であると思う。つまり、何が正しいも同じように時代によって変化するので、これから書くことが今この時代に生きるたった1人の戯言だということは重々承知した上で、なんとなく自分が大事にしたい価値観を、最近ふと思うことに重ねながら2025年3月の記録をしたいと思います。

僕は今イギリスで修士号を目指して心理学を勉強している。ただ、その傍で自分の知的探究心に沿ってさまざまなエリアの知見を深めている。分野的には心理学を起点に、量子力学、脳科学、植生学にまで幅広く知識を集めている。そんな中で最近特に頭を悩ませるのが、それら最新の科学の悪用である。悪かどうかはここでは僕の個人的正義に沿ったものであるのは冒頭にもあるようにも明らかだ。

言いたいのは、何年もの知的探究心の追求の末にようやく辿り着いた人類の叡智がこの時代のヘドニックニーズの亡者の支配の下で人類の進歩に悪影響を与えているのではないか、そして僕はそう思うということである。アインシュタインの創造のもとに生まれた原子力爆弾の事例はある種わかりやすい科学の悪用の例である。最近で言うところのAIの発達、心理学的人間のコントロールの理解、それらさまざまな学問の最先端の進化は果たして何を目標として活用されているのだろうか。

例えば僕の勉強しているポジティブサイコロジーは今や学問としてさまざまな国で新しい心理学として広まっている。ある授業では、ポジティブ心理学者として企業のコンサルをする講義がある。雇われた企業で働く社員の仕事へのモチベアップや会社の生産性のアップ等が表面的なそのコンサルの役割であるが、その末にあるのは資本主義的競争の激化ではないだろうか。心理学者として言わせて貰えば、本来教えてあげるべきなのは、「君たち働きすぎだよ!」ではないのか。何かが甘い汁を吸うその裏では苦渋を強いられている世界がある。ピラミッドの上と下は単なる人口的な数字の違いであって、うまい汁を吸えるのはごく限られた人間であると言う図式ではない。それは、才能を持った人はその限られた人間に与えられた能力で他の者に貢献するというエネルギーの流れを表すことが理想である。政治家は法について話し合うことで国民を統治し、科学者は科学的な理解を深め真実を伝える。この循環が一方通行になれば当然パワーバランスは崩れ、不自然な世界が訪れる。これは人間に限ったものではなく、この地球を作るすべての生命の循環についてである。人間は何に貢献できているであろうか。もちろんそんなワンサイドの綺麗事で丸く収まる簡単な世界に生きているとも思わない。ただこれが僕が思うバランスのいい自然である。

だってお金がなきゃ生きていけない。こんな人間的な言い訳はもう聞き飽きた。踏みつける雑草を労るように自分の周りと自分を区別せずに健康的に過ごせないものか。その可能性を僕は心理学的に探っている。その末にたどり着いたのがポジティブサイコロジーであるのに、ここでもまた金稼ぎのツールなのかと。ついそういう思いが募ってしまう。

人はいつからお金なしでは生きられなくなったのか。

僕を駆り立てる1つの夢がある。

日本に住むみんなが笑顔で健康に夢に向かって羽ばたけるようになってほしい。未来をそんな明るい希望で照らしたい。先人たちが紡いできた思いを、この一瞬の混乱で見失いたくない。

そう言うことを考えながら、もう直ぐ春を迎えます。

皆さんの目標はなんでしょうか?ゆっくりお話ししましょうよ!

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